原発と安全神話と誤謬

年末(というか年始)の真夜中に再放送していたETV特集を観ての感想をば。一応、原子力工学科出身(落ちこぼれだけどね orz)なので、3月以降「原発」については、ぼちぼちと考える時間を取っています。
大阪の原子力学科に入ったのは、かれこれチェルノブイリが爆発した次の年です。なので、それ以前はあまり原子力自体には興味がなくて、漠然と漫画か物理学かなんかかかんかと悩んでおりました…つーか、ほどよく頭は良くなかった。そんな訳で、伊方原発訴訟 のあたりは、良く知りませんでした。オイルショックからくる冷戦、石油危機、夢の原子力、夢の核融合という流れで理系に進んできた私としては、

  • チェルノブイリが爆発したのは制御不足であった。
  • だから、安全制御ができるくらいの力量があれば、夢の原子力は達成可能。
  • そのうちに、20年後ぐらいには、夢の核融合が達成可能

と呑気なことを思っていました。まあ、本音のところは物理学科にはいるほどの偏差値がなくて、原子力学科を選んだんですけどね。そういう打算的なところからスタートなのです。

が、スタートはどうあれ、ひと通り原子力というものを学んで行くと、原子力発電というものは総合工学の分野で、構造建築としても、核燃料を扱う化学としても、拡散方程式を解くコンピュータとしても、放射線・放射性物質を扱う安全教育としても、それなりに興味深い分野ではあります。その中で、大学の教授が授業中に呟いた

  • 「福島原発は既に古いから、危ない」(この話自体が20年以上前)
  • 「軽水炉は確立された技術だから、次は高速増殖炉が研究対象になる」
  • 「原発反対のために入学していくる学生もいるからな、そういうのにはなるなよ」

という言葉を今更ながら、再認識しているところです。
これを踏まえて、ざっと、ETV特集の感想を書き下しておきます。

■福島原発は古い型である

沸騰型軽水炉という炉心自体が非常に古いのと、マーク2という型自体が古いのと、30年と言われていた耐久年数を過ぎていたことと、モロモロのことがあって「いつ壊れておかしくない原子炉(であった)」ということですね。原発自体は、まわりがコンクリートで囲まれています。これはコンクリートが水分を含むために放射線(中性子)を遮るために作られています。巷のブログでは、「放射線は十分には遮れない」というものもありますが、放射線自体は、3次元空間に拡散するので中心から距離の3乗で弱くなります。なので、核分裂による放射線の遮蔽もありますが、建築構造的な強度を保つためのコンクリート建築という意味あいも含んでいます。いまのように剥き出しになってしまって、周りにいるだけで放射線を浴びるのはこまりし、粉じんなどがまき散らされるのも困るわけです。
ですが、日本の原発は海水を二次冷却水についかう理由から海岸線に作ることが多いのです。フランスなんかは内陸国ですから真ん中に作るわけですが、日本の場合は「海水」というのが肝だったわけです。が、この海水が曲者で、長年潮風にあたっているとコンクリートが腐食するわけです。以前、ベットタウンに100年建築と言われてコンクリート式の団地ができたものの20年経たずしてひび割れが走る、というようなことも、実は海に面した原発でも同様なのです。なので、コンクリートの腐食状態をそのままにして、耐久年数を伸ばすというのは不可能なのです。

あと、福島原発では契約上の関係から、ポンプの切り替えができなかったそうで、海抜30メートルの土地を海抜10メートルまで削り取っています。排水溝に近いところではもっと低いでしょう。今回の津波の高さが12,3メートルということを考えると、30メートルのままだったら津波の影響は少なかったと言えます(少なくとも、総電源遺失という事態にはおこらなかったでしょう)。

また、これは知らなかったのですが、根本的に日本の原発はイギリスやアメリカなどから現品で輸入されたもので、自前で作っておりません。だから、と言っても難なのですが、

  • 電力会社は、原発に関しては単なる運転手
  • 故障がおきると、自前では直せない
  • 欠点があっても、リカバリー出来ない

そうです。なるほど、水素爆発が起こりそうなときに社員が逃げ出そうとした、後のもろもろの不手際、汚染水に関するもろもろの誤報、冷却に関する知識不足(というか無知さ加減)は、そこから来るものらしいですね。三菱、日立という会社が原発の輸入、建築、保守を任されていますが、運転自体は下請け、高卒に任されているという現状がここに露呈しています。
いや、「高卒」というのが悪いわけではないのですが、放射線に関する安全教育、危機管理に関する基礎知識は、「現場に入ってもあまり教育されていない」というのが、当時(20年前)の現状だったので…今は違うかもしれません。

そういう訳で、古い型の原子炉を古いままで、だましだまし使っていた、というのが福島原発です。

■軽水炉は確立された技術

原発に関しては、沸騰型軽水炉、圧力型軽水炉があるのですが、沸騰型軽水炉は古い型に属します。特に一次理冷却水が汚染されたまま、タービンを回すことになるので、タービン自体の耐久年数に引っ張られるし、炉心爆発のときの核物質拡散の率が増えてしまいます。なので、圧力型に移行する、そして、「水」では熱伝導が悪いので「ナトリウム」を使う高速増殖炉というのが、学術的な流れだったのですが…どうも違うようです。
あんなに頻繁に止まっているのでは、決して「確立した技術」ではありません。確かに、核分裂を利用した発電という意味では「理論的」に確立したものなのでしょうが、安全基準をクリアするという点において「発電所」としては確立しておりません。かつ、ETV特集で知ったのですが、当時は輸入製品としての軽水炉は日本としては(政府としては)うまみが無くて、次は高速炉の時代、MOX燃料の時代であるという「補助金」の流れが大きく影響しているということが分かりました。大きく、というか「全て」ですね。
また、原発の推進の発端自体が、経済界主導のところにあるので、全ては「稼働率」を上げることと、「儲けが得られること」という商売的な…いや、日本経済の発展のためを考えられたものらしいのです。

ええ、それじゃあ、他人の庭にプルトニウムをまき散らしても、俺知らんもん、になるわけです。当たり前。

そんな訳で、大学で学んできた「核汚染物質の濾過」に関する研究や、「炉心溶解時の安全装置」や、「放射線対策による安全教育」などモロモロのことは、経済的な効率化を目指す「原発」には届いていなかった…と言いますから、所詮、机上の学習という具合だった模様です。

とはいえ、炉心シミュレーションを専門としていた私にとっては「燃料棒」と「制御棒」の組み合わせで計算するだけで、ちまちまと制御棒を動かせば、十分安全に制御できるものなのです。ですが、本来の「安全に運用」の部分はもっと別なところにあって、

  • 人為的なミスを防ぐ装置
  • 配管などを定期的に検査する技術
  • 排水漏れなど直す技術
  • 地震などの災害に対する緊急非難処置

があって初めて「軽水炉は確立された技術」である、と言えるのです。

ですが、安全基準を「お金」勘定し、建築費としてのトレードオフしか考えられない御仁には、ちょっと無理な話なのですね。というわけで、そもそも、「安全」なんかは最初から考えられていなくて、推進のための作られた「安全」が最初にあるだけで、誰も「軽水炉は安全である」というのは断言していないのです。ええ、ETV特集で出てくる科学者、経営者の誰ひとり、そんなことは言っていません。「安全である」ことを売りにして、推進していただけなのです。

■原発反対のために入学する学生

原子力学科に入学するのに、原発を否定するなんて…と思ったのですが、伊方原発訴訟のほうに助手の方が出てきたりと、今更ながらああなるほど、と思いました。大学の教授としては、原発は推進されるほうがよいわけで、反対に進むのは学科の縮小になってしまうためですね。とはいえ、私が卒業したころから原発自体の反対が多く、イメージが悪いことから「原子力学科」という看板がなくなりはじめ「エネルギー学科」とか名前を変えることが多くなりました。そのあたりは、水産学科とか造船学科とかといっしょですね。

そんなこともあり、原子力分野にとっては「失われた10年」ぐらいな話で、技術的に止まってしまった時期からだらだらと流れて、福島原発の件に至っています。原発の建築反対をするのは別に構わないのですが、いま稼働している原発の補修工事などが全くできないまま、現在に至っているのです。改良する技術もかなり失われてしまっていると思われます。このあたりは、winny の件に近いと思います。

技術者からすれば、世論や政治に関係なく、10年20年単位で技術を続けていかなくてはいけなくて、10年20年先にやっとこさ次の技術に切り替わるという現象があります。原発技術に関しては、次の核融合のための繋ぎの技術の意味合いが強くて(核廃棄物の量が多いので)、20年から50年ぐらいまでの科学技術だと言われてきました。残念ながら、核融合のほうはまだまだ実用段階に遠いものがあります。なので、エネルギー問題に関しては、まだまだ、原発、石油、ガスに頼る必要があるのです。

太陽光発電というのも昨今ありますが(ソフトバンクのあれは、まだ続いていますかね?パナソニック町とか?)、一朝一夕にいくものではなく。実は「電力供給」と「電力需要」を分けて考えるのが、それこそスマートですね、と私は言いたいのです。

なので、ETV特集の島村原子力政策研究会についての原子力発電に関して強い意欲を持っている、という結論に、私は非常に同意します。技術者として、手元にあるものをうまく使いこなすこと(それが何であれ)、そして次世代の目途が付けば清く捨てること、が重要です。だから、

  • 原発は、次の電力技術が確立するまでのつなぎの技術である。
  • 原発は、被害を出さないように安全に運用することが最重要である(経済的ではなく)

というのがポイントです。太陽光のパネルを作るには非常に電力が必要です。軽い車を作るためのアルミ製品は非常に電力が必要です。そういう、次世代の電力エコロジーを支えるための「繋ぎの技術」なのですよ。

■「電力需要」を考えるIT技術

ここで自らのIT技術とつなげる訳ですが、「ファジー技術」(というものがありましたね)を初めとして、マイコン技術、自動制御技術の根底には、ソフトウェアの技術が不可欠です。いままで、

  • 点けっぱなしのエアコンは不経済である。

という視点でしか語られなかったものが、

  • 点けっぱなしにしても、自動制御される。

という技術が得られる時代になってきました。「時代になってきました」というのは前年の悪名高い「計画停電」(今年もやるんですよねッ!!! 原発が止まっているわけだし、危機的状況なんですよねッ!!! 何故、今年の冬はしないんでしょうね???)も、スイッチの自動的な ON/OFF 自体を電力供給量と連結させれば非常に簡単なことなのです。工場に対しての電圧の安定供給は必須(モーターの回転数とかがあるからね)なのですが、家庭に関しては多少不安定でもよいのですよ。かつ、数々の電化製品は主電源を切るという人為的ミスを誘うようなものではなく、自前で電力需要を下げるというシステムを組み込めるはずです。

電力需要を末端の装置で下げるというのは、

  • 無線LANに関しては、組み込み技術で10分の1の電力量で済みます。
  • サーバーのHDD、ファン、冷却も集中化、自動停止/自動活性化が可能です。
  • ディスプレイ技術も、電力消費を下げる余地があります。

という感じで、東電様に御迷惑を掛けないように、電力消費を抑え、電気料金を抑えることが可能なのですね。まぁ、ETV特集を観て、電力会社がどうして「殿様」気分なのかがわかりました。何も最近に限ったことではないのですね。なるほど。

そんな訳で、私の結論としては「もともと安全神話」なんてなかった。「原子力は安全です」は宣伝文句でしかなくて、原発推進は経済界の理由が発端であって、だから儲け主義が先に走ってしまって利権がらみの「原子力村」ができてしまったのは当然の帰着であった、ということが分かりました。発電の理論としては安全なんですけどね、扱っている人が駄目駄目なので。そういう言葉もETV特集の中にありましたね。3月頃にも聞いたような気がします。「運転員のミスがなければ、爆発は起こらなかった」、この言葉を使う人は、(精神的に)論理的に破綻しているので、注意したほうがいいです。

以上、年初のメモ代わりに。

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原発と安全神話と誤謬 への2件のフィードバック

  1. masuda のコメント:

    そうそう、未だに「日本が原発を海外に売り出したい」のは、先の「ターンキー契約」をやりたいからなのね。最近のIT会社もそうだけど、同じ設計で作る場合は安くできますけど、カスタムすると高いよ、という話。当然といえば当然なのだが、コストダウンによる危険度が測定できないので、リスク管理自体がおざなりになってしまうのがデメリット。
    そうそう、巷のERPパッケージが、それです。なりを潜めたけど、ERPパッケージの導入コストと経営的なプラス(利益)は普通計算されていない。

  2. masuda のコメント:

    再読して気づいたのだが、「運転員のミスがなければ、爆発は起こらなかった」のところ、実は大学に入っていた当時は思っていたのだよね、自戒をこめて。「ミスをしなければ、大事故は起こらなかった」というのは、論理的に破綻しているのだよ。「ミスをしなければ、プロジェクトは成功した」、「ミスをしなければ、効率化されて予算内に収まったはずだ」というのも全て同じ。
    「ミス」というのが、作為であれポカミスであれ、ミス自体によって大事が発生してしまうシステム(因果関係)を残しておくことが間違い。それって、「ここで宝くじが当たれば、俺は幸せになったはずだ」と同じくらい、破綻しているということ。努力、責任を放棄しているということ。

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